「舞鶴の里づくり市民の集い」講演集
〜みんなで考えようわがふるさと〜
日時:平成元年5月20日(土)午後1時
場所:常陸太田市市民交流センター 大ホール
A「街に夢を!市民に活力を!」(「市民が進める街づくり」への提言)武藤均(西三町)
皆さんこんにちは。
今日こういう形で発表させていただくという光栄な立場に立たせていただいておりますけれども、なかなかこういう機会はありませんので、うまくしゃべれるかどうか判りません。特に市長さんはじめ県の課長さん、そのほかお偉いさん方がいっぱいのところでこういうことを話して大丈夫かなと、話の内容になかなか自信が持てません。10分間の時間がうまく使えるかどうかわかりません。皆さん、あまりいい話を期待しないで、ゆっくり聴いたいただきたいと思うわけでございます。
「街に夢を!市民に活力を!」というテーマで話すということでございます。仰々しいテーマでございますが、まずまちづくりということを考えまして、自分の町との関係でどんなことをまず最初に思い浮かべるかと考えました。そして、一番最初に頭の中によぎったことですが、よくいろいろな人お話をするときに、「出身はどちらですか」という話を必ずされると思いますね。これは、太田の中で言っていれば、「私は西三町です」とか、「増井です」とか、いろいろ話をするわけですが、東京で東京の方と話して、「出身はどちらですか」と言われた時に、なかなか「常陸太田です」と言えないわけです。これは人によって違うのかもしれませんが、なんとなく「茨城県です」とまず言うわけですね。「ああ、そうですか.茨城ですか。最近茨城は筑波が有名になっていますけれども、あの辺ですか。」「いや、もうちょっと北なんです。」「それでは、水戸ですか」「いや、水戸よりもっと北の方へ行くんです」とお言う話になりまして、それから、「もしかしたら西山荘と言うのを御存知ですか」もし知っていたら、「そこの常陸太田なんです。」と、こう言う話をします。
これは常陸太田の人だけではなくて、話を伺うと、どうも世間一般で言われている田舎の人には共通しているそうですね。なかなか自分のところをいわない。恥ずかしいというのがあるそうです。これは、今の都会人と違って、田舎の人の謙譲の美徳という部分のあるのかなとは思うのですが、ひとつは、まちに比べて自分のところはなんとなく発展しなくて恥ずかしいということが片方であるのではないかと思います。これをよく考えると、もしかすると、今私たちは自分の住んでいるまちに誇りを持てなくなってきているのかしらというのを考えました。自分の生まれて育った地に誇りを持てない。やはりこれではいけないんじゃないかというのをまず考えたわけです。
今地域を取り囲む環境はどんどんかわっています。道がよくなる、テレビが入ってくるというようなことで、交通とか情報とかどんどん接近してまいりました。今までは、太田、金砂郷、水府、里美あたりで文化圏というか、まちが大体そこだけで動いていた、それがすぐ水戸にいけてしまう。すぐ筑波へ行けてしまう。そうして東京もすぐに行けちゃうという時代になりました。また、情報ということで言えば、幸い茨城は非常に東京に近いということで、東京とほとんど同じ番組をこの常陸太田で見ることができます。ということは、東京でテレビからもらえる情報がそのままここでもらえるということで、同じ情報がもらえる時代です。昔はそんなことはありませんでした。東京の情報はなかなか茨城では手に入らないし、東京に行くのは、私の記憶では、なんだかんだで6〜7時間かかっていましたね。水戸に行くのも車もなかったり、道も悪かったということで、水戸に行ってさえも結構都会へ来たなという感じでした。
そうしますと、今まででしたら水戸に行くのは面倒くさかった、東京に行くのは面倒くさかったけれども、今は簡単に水戸、東京へ行けちゃう。そうしたときに、今までは距離があったために太田は別に東京と競争をする必要はありませんでした。場合によっては水戸とも競争する必要がなかったかもしれない。けれども、今は、太田と水戸はすぐ近くですから、競争の相手になってしまう状況に入っていると思います。情報についても同様ですね。だから、東京のすごい華やかな世界が目の前で見えてしまう。だから、もしかすると、それと競争しなければならなくなっているかもしれません。
ちょっと、違う話をしまして、情報ということで言えばテレビがどんなに情報網として有用だったか、変わってきたかということで、前にどなたからかお話を伺ったのですが、昔は一家の御主人様が床の間に座っていらっしゃった。家の人は、社会の情報はだんな様が入ってくる窓口だった。それが、テレビがわっと出ました時に、テレビがこんどは床の間に据えられた。そうすると、情報は今度はテレビから入ってくるようになったものですから、今まで床の間に座っていたご主人様がだんだん床の間から違うところに移ってきたというような話もあります。まあ、そういう形でどんどん情報があふれてきているということでございます。そうすると比較の問題になりますから、当然、常陸太田はほかと比べて、もしかすると、何か落ち込んでいるのではないかという感覚にとらわれてきているのではないかと思います。
それで、こういう中でこれからどうやってまちづくりをしていくかということを考えた時に、これから欠かせないことは、いかに住民の方がそのまちづくりに参加していくかということではないかと思います。それはなぜかといいますと、今までは物を作った。例えば道路を作ったり、図書館を作ったり、それだけしていれば、後は皆がなんとなく集まってくるのではないかということで、そういうものをまず進めたわけです。当然それは必要なことでありますから、それをやることは結構はことなのですが、ただ、実際にやってみたところ、そうでもない。物を作ったけれども、道がよくなったら、何だか、かえって人がまちからいなくなったということが起こったりしています。それは何でなのだろうか。やっぱりそこに住んでいる人がそのまちづくりにぜんぜん関わっていないからですね。自分で関わっていなくて、自分のまちをしろうともしない人たちでそのまちが埋まっていってしまった場合には、どんなにいいものをつくっても、そのまちの人たちはそこを利用しないかも知れない。そのまちのよさを再認識しないかもしれない。やはりプライドがなくなっていると共に、そこのまちに愛着を持っている人が少なくなってきちゃっているんではないか。そこのまちを愛さない人がどんなことをやっても、そこの町はよくならないのではないかと思います。
では、どうしたらそのまちに愛着を持てるかというと、先ほどいったように、町づくりに、どんな形でもいいから、関わるということではないかということを考えます。もちろん、商売というのもひとつのまちづくりであります。その商売を一生懸命やって、そこにお客様がどんどん入るということは、そのまちを活発にしているということだから、それはすばらしいまちづくりのひとつだし、自分の店の前をきれいにほうきで掃くというのはきれいな町を作るというまちづくりです。ごみを決められたとこりにちゃんと捨てることもひとつのまちづくりだと思います。町づくりに形はない。ただ自分ができる範囲の中で、そのどこに参加できるかということが、すごく大事なのではないかと思います。
そして、今求められているまちづくりというのは、第2の東京を作るのではない、第2の水戸を作るのではない。そのまちらしいまちをつくるということが今求められていると思います。皆の要求しているもの。たとえば東京から来る人もいろいろな物を要求しています。例えば軽井沢に行きたい人、ディズニーランドへ行きたい人、山の中でゆっくり過ごしたい人、いろいろは人がいる。別にその人たちに併せる必要はないけれども、私たちが自分たちのまちを作っていく時は、少なくとも自分たちでしかできないこと、自分たちらしいことをやるべきじゃないかなと思います。
例えば水戸と同じことをやった場合に、人口の差ということで、水戸の大きさにはかなわないです。そうしたときに、やはり太田らしいもの、何か独自のものをこれから考えていく必要があるのではないかと思っています。
さて、今日こういうことをやっている元に「1億円」という話がありました。1億円をどう使うかということが、やはりこういう話のきっかけになっております。私は、この1億円をとりあえずどう使うかで、まず何をするかを考えた時に、せっかくこういう機会がある、こういう機会が1回で終わったらつまらないというのが実際の感想であります。せっかくの1億円ですから、これを市民を巻き込むような形の物に使いたいと考えます。今の太田市の予算が一般会計予算で90億くらい、特別会計予算を入れても百何十億かあると思いますが、今年使っちゃうと90分の1とか百何十分の1しかない。3年間で皆がまちづくりのことを考えることになれば、その考えるという皆さんに出てきた心は金で買えないと思います。しかも、その中でまちづくりのビジョンができれば、90億の例えば10%を有効に活用すれば、それは9億の価値があるということになります。
それで、その場づくりとしましては、ひとつは「舞鶴市民大学」という名前で、皆さんにまちづくり、太田のまちの歴史、文化、一般教養、その他太田の行政としてやっていること、その他を学んでいただく場を作る。町づくりを考える時、そのための武器が必要だと思いますので、その武器を手に入れるということです。そして、それは太田のこういう場所で1ケ所に定着するのではなくて、各公民館を移動するというような形で、そのいろいろなところの太田の本当の姿を見ながら考えるという大学をつくる。
2番目として、「舞鶴の里づくりシンクタンク」。難しそうな名前ですけれども、まず将来のビジョンを考える。これは市民のプロを雇う。これは市民が参加しなければ意味がないのですが、やはりそれなりのテクニックというか、実際のやった例が必要になると思いますので、そういう人を入れる。そしてその中で、例えば将来のビジョン、10年後、20年後を考えたビジョンを作ると共に、例えば大田市のシンボルはなんだろうか、もっと太田市のカラーなどがあっていいのではないか、というようなことを話し合う。できれば市民の方にそれをお示して、懸賞金をつけるとか、その辺は自由にできると思いますが、そういう形で参加できる場を作る。そして、シンポジウムなどを開くようなことをしていく。そして市民大学を受講した人は何らかの形でこのシンクタンクに関わっていったり、それから先は先ほど川又さんも言ったように、ほかの団体もこのシンクタンクの下部組織として活用できるような形にしよう。そして、私の計算では、この2つではまだ1億円使い切りませんので、残り何千万かは一応基金としまして、そのまちづくりのシンクタンクで3年程度で作成したビジョン運動をしていく、推進のお金に回す。それと、とりあえず、例えば3年なら3年はそれを運用して、運用益を、まちづくり報奨制度ということで、1年間まちづくりをやった人なり、団体なりにお金をあげるようにも使ったらいいのではないかと思います。あとは、こういうことを皆さんにお知らせする広報もしっかり作っていくということですが、そういうことをやったらいいのではないかと思うわけであります。
最後になりますけれども、いずれにしましても、私が言ったことにしろ何にしろ、基本は、今のまちにあるいいものをどう発掘して、どう磨いて、どうそれを作り上げていくか、ということだろうと思います。それには、皆さんがまず参加しないことには、だめなんじゃないかなと思います。私は今まで30年この地域に関わってきて、これから先恐らく40年、50年、長生きできれば60年と、このまちに関わって生きていく。皆さんも何十年も関わってきたし、これから先何十年か、関わっていく。そのまちがよくなってほしい。住みよいまちになってほしいという願いは皆さん一緒だと思います。そのためには、まず自分でできる第一歩、そして自分の参加できるどんな小さなことでもいいから、まず一回参加するところからすべてがはじまるのではないかと思います。
大変貴重な時間にいろいろお話させていただきました。簡単なお話でしたが、一つの参考になればありがたいと思います。
ありがとうございました。